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留守番役は、清めの準備をして遺骨の帰宅を待ちます

火葬場へ行かなかった親類や手伝いの人は、遺骨を迎える準備をし、家の内外をきれいに整えます。火葬場から帰る人のための清めの手洗い水、手ふき、皿に盛った塩も用意しますが、最近は、葬儀社からすべてセットになった用具を借りることが多くなりました。表に忌中札があれば、取りはずしておきます。忌中札をいつまでもはっておくと、霊魂が宙にさまよって成仏できないといわれます。遺骨を安置する祭壇には小机を出し、白い布をかけて、線香、香炉、ろうそく立て、鈴、生花と供物を飾っておきます。火葬場から帰った遺骨は、祭壇に安置して位牌や遺影を飾る喪主が抱えて帰った遺骨と、火葬場へ持って行った遺影、位牌は、清めの塩がすむと祭壇に安置しますが、これを「後飾り」と呼びます。後飾りをするときは、中央の最上位に遺影、中央に逃骨、その手前に位牌というように、並べかたには順序があります。遺骨を安置し、後飾りが整うと、僧侶に読経をしてもらうか、居合わせた人たちで焼香だけをすることもあります。この祭壇は、四十九日の忌明けまでそのままにして供養します。

九十七歳の祝い

沖縄の高齢者の年祝いの一つに、カジマヤーの祝いがあることが知られている。数えで九十七歳の長寿になったときの祝いである。一般には老人が子どもに立ち返ったとして、本人にカジマヤー、すなわち風車を持たせるというのである。以前より現在の方が盛大なイベントになっている。村中総出で、子どもに生まれかわった老人を車にのせて、何十台もの自動車をつらねて行進するパレードもある。沖縄の民俗学者源武雄は、古老から聞くところではこのカジマヤーの祝いが、戦前には現在のものとはいささか趣きを異にしていたことに注目している。それはあたかも葬式のようだったというのである。老人の年祝いが不吉なお葬式のようだというのは、何か深い意味があるにちがいない。九十七歳になった老人をあたかも死者と同様に扱っていたという。すなわち白衣の死装束を着せ、枕元に枕飯を供えた。そして家族や近親者がその周囲に座り、哀悼の意をこめつつ名前を三度よんだという。これを枕飯御願という。その目的は、人間の寿命は八十八歳が最高の限度であるのに、それ以上生きていると、その分だけ子孫の命がちぢまってしまう。だからもう寿命がつきたのだから昇天して下さい、といって、ついでに子孫の繁栄を祈ったという。そして御願が終わったあと行列を組んで村中をまわった。そのさいに七つの橋、七つの十字路を通過することになっていたことも注目に値する。このことを後生支度といって、すべてを葬式と同じようにして、他の人々は途中道ばたでそれを見てはいけないとしていた。これと類似の事例は、沖縄の各地にあった。九十七歳なので九月七日を祝いの日にするという語呂合わせの感覚もあるが、正月の年日百分の最初の干支の日のことで十二支に合わせている。したがって子、丑、寅の日などに行われていた。この祝いで興味深いのは、長寿の祝いと称しながら、枕飯を供えたり死後のことなどが同時に語られることである。

定年退職のお祝い

定年退職というと何となく悲しい響きがありますが、定年まで勤めあげたということはめでたいこと。それゆえ、周囲の人は温かくお祝いしてあげるわけです。あなたが会社勤めをしている場合、同じ職場の人が定年退職をする場面に何度か立ち会うはずです。多くの会社は、定年退職する人のお祝い、送別会など慣例化していると思います。ですから、職場の人たちで何か記念品を贈るというのであれば、それに従っていれば間違いありません。ただ、定年退職する人に特別世話になっていたというのであれば、職場の決まりとは別に、個人的に何かお祝いしてあげたいですね。時計などの記念になる品物は、会社で贈ると思うので、その人の趣味に合わせた贈り物がベスト。囲碁、将棋が趣味なら、碁石、将棋の駒、ゴルフが趣味ならネームを刻んだパターなど、お世話になった度合いに応じて、1万円から。


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